宗吾霊堂 ― 2009/11/23 18:50
千葉は佐倉にある宗吾霊堂へ行って来ました。

晴れたし。
暖かかったし。
前々から・・・多分十年近く前から
近くを通る度に、ここは何なんだろうなあ・・・
と謎だった場所なのです。
暖かかったし。
前々から・・・多分十年近く前から
近くを通る度に、ここは何なんだろうなあ・・・
と謎だった場所なのです。
しかも通りすがる時にしか思い出さないから
行き損ねて行き損ねて・・・以下略。
そして今日、漸く行ったのです。
想像していたより広かった。
宗吾霊堂とは・・・
今から凡そ三百五十年前、
江戸時代は四代将軍家綱の頃
佐倉藩家老による過酷な年貢の取り立てに
(鍬や鋤等農具にまで課税されていたそうです)
追い詰められた農民達の窮状を見兼ね、
死罪を覚悟の上で将軍に直訴した名主、佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)を
祀った場所です。
直訴は将軍の耳に入り、農民達の生活は改善された一方、
佐倉宗吾は直訴した翌年、子供達と共に極刑に処されました。
宗吾霊堂付近には佐倉宗吾に関係する施設や名称が沢山あって
彼に対する人々の感謝の気持ちがどれほど深かったか、良くわかります。
境内では近所の子供らと思しき小学生達が遊んでいて
和やかな雰囲気でした。
江戸時代は四代将軍家綱の頃
佐倉藩家老による過酷な年貢の取り立てに
(鍬や鋤等農具にまで課税されていたそうです)
追い詰められた農民達の窮状を見兼ね、
死罪を覚悟の上で将軍に直訴した名主、佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)を
祀った場所です。
直訴は将軍の耳に入り、農民達の生活は改善された一方、
佐倉宗吾は直訴した翌年、子供達と共に極刑に処されました。
宗吾霊堂付近には佐倉宗吾に関係する施設や名称が沢山あって
彼に対する人々の感謝の気持ちがどれほど深かったか、良くわかります。
境内では近所の子供らと思しき小学生達が遊んでいて
和やかな雰囲気でした。

ポンポコのお散歩にも程良い広さで
季節柄、菊の花が展示してありましたよ。
やっと行けて気が済んだ!!
でもまた行きたいかも。
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